東京地方裁判所 昭和44年(ワ)6862号 判決 1971年4月21日
原告 松本成秋
右訴訟代理人弁護士 松本栄一
被告 学校法人 上智学院
右代表者理事 ヨゼフ・ピタウ
右訴訟代理人弁護士 三枝信義
主文
一、原告の請求をいずれも棄却する。
二、訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告
第一、請求の趣旨
一、(第一次)
被告は原告に対し、金二一万九、一〇〇円およびこれに対する昭和四四年七月九日以降右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
(第二次)
被告は原告に対し、金一六万九、一〇〇円およびこれに対する昭和四四年七月九日以降右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二、訴訟費用は被告の負担とする。
との判決ならびに仮執行の宣言を求める。
第二、請求原因
一、原告は昭和四四年二月二八日と三月二日に行われた被告経営の上智大学理工学部機械工学科の第一次、第二次試験に合格し、上智大学より入学の許可をうけ、同月三日受験番号理工学部一、〇八九番をもって、被告に対し、上智大学へ入学する旨の意思表示をなし、左記のとおりの内訳の入学納入金合計金二一万九、一〇〇円を支払って入学手続を完了した。
記
(イ) 入学金 金五万円
(ロ) 授業料 金九万円(年額)
(ハ) 施設拡充費 金六万円(年額)
(ニ) 実験実習費 金一万五、〇〇〇円(年額)
(ホ) 課外活動費 金一、二〇〇円(年額)
(ヘ) 学生厚生基金 金一、〇〇〇円
(ト) 同窓会積立金 金一、〇〇〇円(年額)
(チ) 学生健康保険組合費 金九〇〇円(年額)
二、原告はその後上智大学の入学式が挙行された同年四月七日の前である同年三月二二日到達の内容証明郵便をもって、被告に対し右入学の意思表示を取消す旨の意思表示をなし、前記入学納入金の返還を求めた。
三、(一) ところで被告は、上智大学学則第五四条において、「上智大学に入学の許可を得た者は所定の期間内に所定の入学納入金を納めなければならない」旨、また同第五七条において、「一度納入した諸納付金は、その理由のいかんにかかわらず返還しない」旨の定めをなし、右規定に基づき毎年度、入学手続要項を定めているところ、昭和四四年度第一学年入学手続要項においては、「入学手続期間内に入学納入金の納入その他必要な手続を完了しない場合は、入学の許可を取消す」、「いったん納入した入学納入金は、いかなる事情があっても返還されない」と定め、理工学部につき右入学手続期間を昭和四四年三月二日より同月四日まで、右入学納入金の額を前記金二一万九、一〇〇円と定めていた。
(二) そして原告は、入学試験合格発表後被告より右入学手続要項の交付をうけ、右要項にしたがって、所定の手続期間内に被告に対し入学の意思表示をなし、所定の入学納入金を支払って入学手続を完了したものである。
四、しかしながら原告が右入学手続要項にしたがって被告に対し所定の手続期間内に入学の意思表示をし、所定の手続をなしたことにより原・被告間に成立した入学に関する合意は、以下主張するように無効もしくは取消し得べきものである。
(一) (心裡留保による無効等)
原告は右要項の定めに対し何らの異議を留めておらず、原告が被告になした入学の意思表示には何らの条件も付されていないが、原告は上智大学理工学部の入学手続期限より後に入学試験の合格発表がなされる他大学理工学部を優先志望としていたものであり、右入学の意思表示をなすにあたって原告の真意は、後日右優先志望校の入学試験に合格した場合には原・被告間の入学に関する合意はその効力を失うというものであったから、右入学の意思表示は表示行為と真意との間に不一致があった場合に該当し、被告としても原告の右真意を知り得たものである。よって民法第九三条但書により右無条件の入学の意思表示、したがって前記入学に関する合意は無効であり、仮りに右主張が認められないとしても、原・被告間の入学に関する合意は前記原告の真意どおりの解除条件付のものとして成立し、原告はその後優先志望校である早稲田大学の理工学部の入学試験に合格したので、右合意は解除条件の成就により効力を失った。
(二) (信義則違反による無効)
(1) 前記要項に定められている理工学部の入学手続期限(昭和四四年三月四日)以前に、国、公立大学やいわゆる有名私立大学の理工学部のうちで同年度の入学試験の合格者の発表がなされたところが一つもなかったことは公知の事実である。
(2) ところで上智大学理工学部の入学試験合格者のうちには、後日入学試験の合格発表がなされる国、公立大学や他の私立大学の理工学部を第一、第二志望として受験しながら、上智大学理工学部を第二、第三志望として受験して合格した者が多数存在し、原告もその一人であった。そして原告も含めて右のような合格者としては、前記要項において所定の入学手続期間内に所定の手続を完了しない場合入学許可を取消す旨定められているため、右期間内に所定の手続を履践しておかないと、後日発表される優先志望校の入学試験の結果が不合格であった場合、いわゆる浪人生活を余儀なくされる事態に陥るわけであり、右事態を避けるために、いわゆる「すべり止め」として、前記要項の定めにしたがって被告に対し、入学納入金を納入せざるを得ない。そして右のような者は、後日優先志望校の入学試験に合格した場合には上智大学への入学をとりやめるのが常である。原告も、右のように、いわゆる「すべり止め」として、被告に対し入学の意思表示をして入学納入金を支払ったが、後日発表された優先志望校である早稲田大学理工学部の入学試験に合格したので、上智大学への入学をとりやめることとし、前記二、主張のとおり被告に対し、入学の意思表示を取消したのである。
(3) ところで、被告としても、右原告のようにいわゆる「すべり止め」として入学納入金を納入する者が多数存在し、これらの者が後日実際には上智大学への入学をとりやめることのあるのを予定し、これに備えて本件の場合理工学部合格者五一〇名に対し四〇%弱にあたる一九八名もの多数の補欠者を発表している(右補欠者は被告主張のように所定の入学手続期間内に手続を完了しない者を補充することを予定したのではなく、前記のように入学手続完了後実際には入学しない者が右四〇%弱程度あることを例年の経験から予測して用意されたものである。)のであるから、右によって生じる欠員は少くとも入学式挙行の日に間に合う時点まではいつにても右補欠者のうちからこれを補充することが可能であり、したがって、原告のように入学式挙行の日までに補欠者による補充が可能である時点において入学の意思表示を取消した者に対し、いったん納入した入学納入金を返還しても被告の大学経営上の資金計画に支障を来たすことは全くない。また仮りに右返還を行わないとすれば被告は右原告のような者が多ければ多い程、いわば予定外の収入をあげうることになって不当である。
(4) 以上述べたように合格者の多くがいわゆる「すべり止め」のためやむなく入学の意思表示をなして入学納入金を納入せざるを得ないような不合理な時期に入学手続期限が定められていること、また原告のように入学の意思表示を取消した者に入学納入金を返還したとしても被告の資金計画に何ら支障を来たすこともなく、仮りに右返還を行わないとすれば被告が不当な利益をあげることになることを前提とする限り、「いったん納入した入学納入金はいかなる事情があっても返還されない」旨の前記入学手続要項の定めは信義誠実の原則に反するものというべきであり、したがって右要項の定めにしたがい原・被告間に成立した前記合意もまた信義誠実の原則に反するものとして無効である。
(三) (民法第九六条の類推適用)
(1) 前記要項においては、理工学部の入学手続期限が前記(二)、(1)のとおり国、公立大学や他のいわゆる有名私立大学理工学部の合格発表日より前に定められ、右期限までに手続を完了しない場合には入学許可を取消す旨定められているため、上智大学理工学部の合格者中右の他大学理工学部を優先志望としている者は、所定の期間内に所定の手続を履践しておかないと、いわゆる浪人生活を余儀なくされる事態に陥る虞れがあり、右のような者の右事態に陥ることに対する危惧の念は甚だ大きいものがある。
(2) ところで原告も右の他大学理工学部を優先志望としていた者であり、特に既に一年間いわゆる浪人生活を送ってきたこともあって、再度浪人生活を余儀なくされることについて強い危惧の念を抱いていた。そして原告は右危惧の念からやむなく前記入学手続要項にしたがって被告に対し、入学の意思表示をなし、入学納入金を納入したのであって、被告は原告の右危惧の念を利用して原告に入学の意思表示を強制したものというべく、右のような合格者の弱味につけこんだ被告の行為は強迫に類する行為であって、民法第九六条の類推適用により原告の右入学の意思表示、したがって原・被告間の前記合意は取消し得べきものである。
(四) (憲法第一四条ないし民法第九〇条違反による無効)
(1) 被告は上智大学学則第五五条において、「在学生は毎学年所定の納入金を納めなければならない。納入金の納入は学年当初一〇日以内とする。ただし事情によっては各学期の初めに分納することができる」旨定め、右のとおり実施している。
(2) 右在学生の取扱いとの均衡からすれば、学則第五四条にいう新入生が入学納入金を納入すべき所定の期間とは、少くとも右納入金のうち入学金を除く、二年次以降に共通する費目については、新学年開始(入学式挙行)後一〇日以内に定めてしかるべきところ、これと異なり前記のように入学式挙行(四月七日)より一か月以上前に右納入期間を定め、右期間内に全額納入しない時は入学許可を取消すものとし、いったん納入後は一切これを返還しない旨の前記入学手続要項の定めは、入学金を除く諸納入金に関する限度で、在学生の取扱いとの対比において、憲法第一四条の精神に反するか、公序良俗に反するものというべきである。したがって右要項の定めにしたがい原・被告間に成立した前記合意もまた右の限度で、憲法第一四条の精神に反するか、公序良俗に反するものとして無効である。
五、したがって被告は、前記原・被告間の合意に基づいて原告が納入した入学納入金全額、もしくは右金員のうち入学金五万円を除いた金一六万九、一〇〇円を法律上の原因なくして利得しているものである。
六、よって原告は被告に対し、前記入学納入金二一万九、一〇〇円、仮りに右が認められないとしても右金員のうち入学金を除く金一六万九、一〇〇円およびこれに対する本件訴状送違の日の翌日である昭和四四年七月九日以降右完済に至るまで民法所定年五分の割合による法定利息金の支払を求める。
被告
第一、請求の趣旨に対する答弁
主文同旨の判決を求める。
第二、請求原因に対する答弁
一、認める。
二、認める。
三、(一) 認める。
(二) 認める。
四、争う。
(一) 原告が上記要項の定めに対し異議を留めておらず、原告の入学の意思表示に何らの条件も付されていないこと、原告が後日早稲田大学理工学部の入学試験に合格したことは認めるが、その余は争う。
(二) 争う。
(1) 争う。
(2) 不知。
(3) 被告が五一〇名の合格者と共に一九八名の補欠者を発表したことは認めるが、その余は争う。補欠者の取扱いについては、入学許可をうけた者のうち所定の入学手続期間内に手続を完了した者が募集定員に満たない場合、その欠員に応じて補欠者各個に対し合格の旨および先きの入学手続締切日の午後三時から二、三日以内に入学手続を完了するよう通知し、右期間内においてのみ欠員の補充を行うのであって、原告主張のように入学式挙行の日に間に合う時点まで、入学の意思表示の取消に応じて随時補欠者により欠員を補充することはない。
(4) 争う。
(三) 争う。
(1) 争う。
(2) 争う。ただし原告が既に一年間浪人生活を送ってきた者であることは認める。原告が被告に対し所定の期間内に入学の意思表示をなして、入学納入金を納入するか否かは優先志望校の受験成績に対する自己の判断にかかることであり、右判断に際しては受験生として危惧の念にかられるのはいわば通常の事態であって、被告において原告の場合に限って入学の意思表示を主動的に強制ないし強迫したことには何らならない。原告は入学手続要項の定めに任意にしたがって入学の意思表示をしたものである。
(四) 争う。
(1) 認める。
(2) 争う。
五、争う。
六、争う。
第三、証拠関係≪省略≫
理由
一、原告が昭和四四年二月二八日と三月二日に行われた被告経営の上智大学理工学部機械工学科の第一次、第二次試験に合格し、上智大学より入学の許可をうけ、同月三日受験番号理工学部一、〇八九番をもって、被告に対し、上智大学へ入学する旨の意思表示をなし、原告主張のとおりの内訳の入学納入金合計金二一万九、一〇〇円を支払って入学手続を完了したこと、原告がその後上智大学の入学式が挙行された同年四月七日の前である同年三月二二日到達の内容証明郵便をもって、被告に対し右入学の意思表示を取消す旨の意思表示をなし、前記入学納入金の返還を求めたことはいずれも当事者間に争いがない。
二、そして被告が上智大学学則第五四条、第五七条において原告主張のとおりの定めをなし、右規定に基づき毎年度入学手続要項を定めているところ、昭和四四年度第一学年入学手続要項においては、「入学手続期間内に入学納入金の納入その他必要な手続を完了しない場合は、入学の許可を取消す」、「いったん納入した入学納入金は、いかなる事情があっても返還されない」と定め、理工学部につき右入学手続期間を昭和四四年三月二日より同月四日まで、右入学納入金の額を前記金二一万九、一〇〇円と定めていたこと、原告が入学試験合格発表後被告より右要項の交付をうけ、右要項にしたがって、所定の手続期間内に被告に対し入学の意思表示をなし、所定の入学納入金を支払って入学手続を完了したものであることもまたいずれも当事者間に争いのないところである。
三、原告は、請求原因第四項において、原告が右入学手続要項にしたがって被告に対し所定の手続期間内に入学の意思表示をなし、所定の手続をなしたことにより原・被告間に成立した入学に関する合意につき、種々の理由をあげてその効力を争うので、以下順次検討する。
(一) (1) 原告が前記要項の定めに対し異議を留めておらず、原告が被告になした入学の意思表示に何らの条件も付されていなかったことは当事者間に争いがないところ、先ず原告は、「右入学の意思表示をなすにあたって原告の真意は後日優先志望校の入学試験に合格した場合には原・被告間の入学に関する合意はその効力を失うというものであったから、右入学の意思表示は表示行為と真意との間に不一致があった場合に該当し、被告としても原告の右真意を知り得たものである。よって民法第九三条但書により原・被告間に成立した入学に関する合意は無効である。」と主張する。
しかし原告の右主張にしたがえば、原告に入学の意思が全くなかったわけではないのであるから、原告が被告になした入学の意思表示自体については、表示行為と真意との間に別段乖離はないという外なく、原告の右主張は、結局、ただ、右入学の意思表示に、後日原告が優先志望校の入学試験に合格した場合には、原・被告間の入学に関する合意はその効力を失う旨の附款(解除条件)が付されれば、原告が真に意図したところに合致する旨をいうにすぎないと解せざるをえない。
ところで民法第九三条は意思表示はあるけれども、右が真意に符合しない場合に関する規定と解されるところ、原告の右主張を上記のように解するにおいては、民法第九三条によるべき場合でないことが明らかであるから、原告の右主張は採用の限りでない。
(2) 次ぎに原告は、「原告が真に意図したところは、後日原告が優先志望校の入学試験に合格した場合には、原・被告間の入学に関する合意はその効力を失う旨の解除条件のもとに入学することであり、被告としても原告の右意図を知り得たものであるから、原・被告間の入学に関する合意は、当然右解除条件付のものとして成立した。」旨主張する。
ところで弁論の全趣旨によれば、原告は上智大学理工学部の入学手続期限より後に入学試験の合格発表がなされる他大学理工学部を優先志望としていたものであることが認められ、右認定に反する証拠はないので、原告としては後日右優先志望校の入学試験に合格すれば上智大学において教育をうけるつもりはなく、したがってその場合には既に納入した入学納入金を被告から返還してもらえることがのぞましいとは一応思っていたであろうことが想像に難くない。
しかしながら右はあくまで単なる希望にとどまるものであり、原告が右のような希望の域をこえ、その真に意図したところが原告主張のようなものであったことを認めるに足りる証拠はなく、前記二、の事実によれば、原告としては原告主張のような解除条件を付した入学の意思表示をしても被告がこれをうけいれるものとは到底考えられず、あくまで右解除条件にこだわれば、結局入学を断念する外はないので、入学の途を選び、前記のように何らの条件も付することなく入学の意思表示をしたものとみるべきである。したがってその余の点にふれるまでもなく、原・被告間の入学に関する合意が原告主張のような解除条件付で成立するいわれはないといわねばならない。
(3) 以上のとおりであるから、請求原因第四項(一)の主張はすべて理由がない。
(二) 次ぎに前記入学手続要項において入学手続期限が不合理な時期に定められていること、また補欠者による補充が可能であるから、原告のように入学の意思表示を取消した者に入学納入金を返還しても被告の大学経営上の資金計画に支障を来たすこともなく、仮りに右返還を行わないとすれば被告が不当な利益をあげることになることを理由に、右要項の「いったん納入した入学納入金はいかなる事情があっても返還されない」旨の定め、したがって右定めにしたがい原・被告間に成立した入学に関する合意が信義誠実の原則に反するものとして無効であるとする請求原因第四項(二)の主張を検討する。
(1)(イ) 先ず右要項に定める入学手続期限の時期については、≪証拠省略≫によれば、東京都内の私立大学の理工学部のうち半数以上および国、公立大学の理工学部の昭和四四年度の入学試験の合格者発表が右要項に定める入学手続期限たる同年三月四日より後であったことが認められ、右認定に反する証拠はない。そして≪証拠省略≫によれば、例年上智大学理工学部の入学試験合格者のうちには、右のように後日入学試験の合格発表がなされる他大学を第一、第二志望として受験しながら、上智大学理工学部を第二、第三志望として受験して合格した者が若干存在し、昭和四四年度もその例外でなかったものと認められ(右認定に反する証拠はない。)、原告もその一人であったことは前記(一)、(2)において認定したとおりであるところ、原告を含めて右のような合格者としては、前記要項において所定の入学手続期間内に所定の手続を完了しない場合入学許可を取消す旨定められているため、右期間内に手続を履践しておかないと、後日発表される優先志望校の入学試験の結果が不合格であった場合、いわゆる浪人生活を余儀なくされる事態に陥るわけであり、右事態を避けるためには、いわゆる「すべり止め」として、前記要項の定めにしたがって被告に対し入学納入金を納入しておく必要があり、右のような者は後日優先志望校の入学試験に合格した場合には上智大学への入学をとりやめるのが常であろう。そして弁論の全趣旨によれば、原告も右のようにいわゆる「すべり止め」として、被告に対し入学の意思表示をして入学納入金を支払ったが、後日発表された優先志望校である早稲田大学理工学部の入学試験に合格した(原告が後日右入学試験に合格したことは当事者間に争いがない。)ので、上智大学への入学をとりやめることとし、前記一、認定のとおり被告に対して入学の意思表示を取消したものであると認められ、右認定に反する証拠はない。
(ロ) ところで大学に進学することを希望する者が右原告の場合のように優先志望校である他大学の入学試験の結果を慮って、いわゆる「すべり止め」として入学の意思表示をなし、入学納入金を納入するというようなことは、全大学の入学試験の合格発表が同一の日になされるか、全大学の入学手続期限が同一の日に定められている等全大学の歩調が揃っていればおこらないわけであるが、そもそも、学校によっては、進学希望者に対し、原告のいう、いわゆる「すべり止め」として原告の主張するように利用させることが信義則上当然要請されるというがごときことはもとより首肯し難いところであり、入学試験の合格発表の時期や入学手続期限は、各大学において、新学期開始までに必要な諸準備、諸手続をなすのに要する日数を考慮し、また可及的にその欲する学生を必要な員数確保するという大学として当然の要求を満たすべく、各大学それぞれの事情に応じて、自ら適当とする時点にこれを定めることができるというべく、被告が自ら適当な時点であるとして前記認定の時期(三月四日)に入学手続期限を定めることが許されないものとする理由はない。仮りに、被告において右のような時点に入学手続期限を定めているために、上智大学理工学部の入学試験合格者のうち原告のような一部の者が浪人生活を避けるためにいわゆる「すべり止め」として入学の意思表示をなし、入学納入金を納入することになったとしても、それはその者自身の利益こう量においてなされた選択によるものであって、右によってそれ相当の利益を享受するわけであるから、それによる不利益はその者が自ら負担すべきであるともいえるのであって、被告が右時点に入学手続期限を定めていることが直ちに前記入学手続要項の定めを信義誠実の原則に反するものとする理由とはならないというべきである。
(2)(イ) 次ぎに被告が昭和四四年度理工学部合格者五一〇名と共に一九八名の補欠者を発表したことは当事者間に争いがないところ、≪証拠省略≫によれば、被告の補欠者の取扱いについては、合格者の発表と同時に補欠者には、「欠員ができ次第、入学手続期限後二、三日の間(昭和四四年度理工学部の場合三月四日午後三時以後三月六日まで)に通知する、通知があったときはその際指定する期間内に入学手続をすること」という趣旨の書面を交付しておき、合格発表者のうち所定の入学手続期限までに手続を完了した者が募集定員に満たない場合には、右期限の締切時間後直ちに何名を補欠者から補充するかを決定し、同日直ちに電話にて補欠者に欠員が生じた旨を伝えて、手続をするか否かの諾否を確認し、二、三日の手続期間を指定するという方法をとるのが毎年の例であること、通常合格発表者の入学手続期限と同日に行う右に述べた補充のみによってほぼ募集定員が満たされ、その後は補欠者から補充を行うことはなく、特に四月初めの入学式に近くなってから右補充を行う例は全くないこと、以上は昭和四四年度理工学部の場合についても同様であったことを認めることができ、右認定に反する証拠はない。したがって前記一九八名の補欠者はいったん入学納入金を納入した者が後日上智大学への入学をとりやめることのあることを予定し、これを補充するために用意されているとする原告の主張は採用し難い。
(ロ) ところで被告が行っている補欠者からの補充の実際は右のとおりであるが、原告が主張するように、入学式挙行の日の前に原告のように入学の意思表示を取消す者があった場合、なるほど前記補欠者のうちから入学式挙行の日に間に合う時点まで随時これを補充することも理屈の上では考えられないことではない。しかしながら、≪証拠省略≫によれば、被告においても例年いったん入学納入金を納入して入学手続を完了した者の内に、後日他の優先志望校の入学試験に合格した場合上智大学で教育をうけないこととする者が若干あることを予測していることが認められる(右認定に反する証拠はない。)にせよ、とにかく被告としては、入学手続完了者に対しては手続完了の際学生証を交付し(このことは≪証拠省略≫によって認められる。)、右の者が上智大学で大学課程の教育をうけるものとして、入学手続完了後直ちに必要な人的、物的施設等の諸準備を整え、諸手続を行わなければならないわけであり、右諸準備、手続は入学手続完了者が納入した入学納入金額にしたがい、これを用いて行われるものと考えられる。また補欠者のうちから必要な人員を補充することは時期が遅れるにしたがって困難となることも十分考えられることであり、その人数が多くなれば右補充の手続は勿論、補充後になすべき諸準備等の変更等の手続も煩瑣なものとなることは容易に想像されるところである。したがって以上のような点を考えれば、仮りに補欠者のうちから入学式挙行の日に間に合う時点まで随時人員を補充することが全く不可能ではないとしても、これによって種々の困難な問題が生じることが明らかであって、原告が主張するように右補充が可能な時点において入学の意思表示を取消した者に入学納入金を返還しても被告の大学経営上の資金計画に支障を来たすこともなく、右返還を行わないとすれば被告において不当な利益をあげることになるものとはにわかに断じ難いというべきである。
(3) よって前記請求原因第四項(二)の主張も理由がないこと明らかである。
(三) 次ぎに被告が原告の浪人生活を余儀なくされることについての危惧の念を利用して原告に入学の意思表示を強制したものとして、民法第九六条の類推適用により原告の右入学の意思表示、したがって原・被告間の前記合意が取消し得べきものであるとする請求原因第四項(三)の主張について検討する。
(1) なるほど上智大学理工学部の入学試験合格者中、原告のように前記要項に定める入学手続期限(三月四日)より後に入学試験の合格発表がなされる他大学理工学部を優先志望としている者は、右要項において、右期限までに手続を完了しない場合には入学許可を取消す旨定められているため、所定の期間内に手続を履践しておかないと、右優先志望校の入学試験の結果が不合格であった場合、上智大学にも入学できなくなり、その結果いわゆる浪人生活を余儀なくされる事態に陥ることも考えられるわけであり、一般に右のような者の右事態に陥ることに対する危惧の念が大きいことは想像に難くないところである。そして原告が既に一年間いわゆる浪人生活を送ってきた者であることは当事者間に争いがなく、原告が右の要項の定めるところにしたがって被告に対し入学の意思表示をなし、入学納入金を納入するにあたっては再度浪人生活を余儀なくされることについての強い危惧の念があったものと推測される。
(2) しかしながら右のような危惧の念は大学受験生に共通するいわば通常の心理状態ともいえるものであり、これが民法第九六条にいう強迫による意思表示の成立のために必要な畏怖またはこれに準ずる心理状態に該当するとは直ちに言い難いし、のみならず原告が右のような危惧の念を抱き、被告に対し入学の意思表示をなし、入学納入金を支払うに至ったのは、前記要項において、入学手続期限が自己の優先志望校の入学試験の合格発表より前の時期に定められ、右期限までに手続を完了しない場合には入学許可を取消す旨定められていることがその原因となっていることも勿論否定できないが、それよりも先ず第一には優先志望校の受験成績などを考慮した上での原告自身の判断に基づく自発的な選択によるものであるというべきであるから、被告が原告の右危惧の念を利用して原告に入学の意思表示を強制したものということも直ちにはできない。
(3) よって前記請求原因第四項(三)の主張もまた理由がないというべきである。
(四) 最後に上智大学学則第五五条に定める在学生の納入すべき納入金の取扱いとの均衡からすれば、入学式挙行の日より一か月以上前に納入期間を定め、右期間内に全額納入しない時は入学許可を取消すものとし、いったん納入後は一切これを返還しない旨の前記入学手続要項の定め、したがって原・被告間の入学に関する合意は、入学納入金のうち入学金を除く、二年次以降に共通する費目に関する限度で、憲法第一四条の精神、もしくは公序良俗に反するものとして無効であるとする請求原因第四項(四)の主張について検討する。
(1) 被告が上智大学学則第五五条において、「在学生は毎学年所定の納入金を納めなければならない。納入金の納入は学年当初一〇日以内とする。ただし事情によっては各学期の初めに分納することができる」旨定め、右のとおり実施していることは当事者間に争いがないから、納入金の納入時期等について新入生と在学生とで被告の取扱いに異なるところがあることは原告の主張するとおりである。
(2) しかしながら新入生の場合、大学としては、予め大学課程の終了までをみとおして諸計画をたてる必要があり、また入学式挙行後遅滞なく教育を行うことができるように、学生をうけ入れるための諸準備、必要な諸手続を入学式挙行以前に整えておかなければならず、このような諸計画、準備、手続が入学時に既に一応終わっている在学生の場合とは種々異なる特殊性があることは当然のことであって、右のような特殊性を考えれば、入学金は勿論その余の二年次以降に共通する費目についても、納入時期等について在学生と新入生とで異なる取扱いをすることは大学として当然許されるものというべく、被告が前記要項に前記のような定めをなし、新入生につき在学生と異なる取扱いをしていることが在学生の取扱いとの対比において憲法第一四条の精神、もしくは公序良俗に反するものということはできない。
(3) よって前記請求原因第四項(四)の主張も理由がないこと明らかである。
四、以上説示したとおり、原・被告間に成立した入学に関する合意の効力を争う請求原因第四項(一)ないし(四)の主張はいずれも理由がないから、右主張を前提とする原告の被告に対する本訴請求はすべて失当としてこれを棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 園田治 裁判官 三宅純一 河本誠之)